第?話 夏騒動−2(啓祐編2)
 〜手紙〜


 このまま昼寝でも出来たらどんなに気持ちいいだろうか。
 『この二週間』の間、梅雨で雨天が続いていたが、今日は青空が広がった陽気な天気だ。
「こんなところにいて。ここは立ち入り禁止だぞ」
 声がした。寝転がっていたので、俺はローアングルでその声の主を確認した。
「チェッ」
「何が、チェッ、だ」
 その男は、日光を遮る形になって、俺の枕もとに立っている。龍ちゃんだ。
「見てみろよ、この気持ちいいほどの青空を。その素晴らしい絵に、突然不相応な物体が飛び込んできたわけだ。気分がそがれるぜ」
「お前に絵画とか写真とか、そういうものの価値が分かるとは思えないが」
「いくら何でも、ゴッホか誰かの素晴らしい絵にだな、どっかのバカヤローがおおっぴらに落書きしたら、見て違和感を感じるぜ」
「随分な落書きだな」
 龍ちゃんは寝ている俺の隣に並んで座った。
「おい、日除け。眩しいぞ」
「雨乞いでもするか?」
 と、マイルドセブンに火を点ける。
「……龍ちゃん、教師がこんなところで煙草を吸っていいのかよ」
「俺はお前を生徒とは思っていないからな、いいんだよ。一本吸うか?」
「馬鹿野郎、俺が煙草嫌いなの知ってんだろ」
 俺の台詞に、龍ちゃんは笑って携帯用灰皿をズボンのポケットから取り出した。
「で、啓祐。話をもとに戻すが、ここは立ち入り禁止だ」
「教師みたいなことを言わないでくれ」
「俺は教師だ」
「俺のことは生徒と思っていないんだろ?」
「俺はお前を生徒と思ってないが、他の生徒が真似しないようにな」
 龍ちゃんは煙草の灰を指で叩き落とし、少し深刻な顔で、
「……俺も経験ないことだからな、何とも言えないが……」
「大体立ち入り禁止なんかして、鍵がブッ壊れてるんじゃ、入られて仕方がない。人間の好奇心を煽っているようなもんだよ」
「話題を変えるな」
「……おう」
 龍ちゃんの言いたいことは、始めから分かっていた。龍ちゃんがここに来たときから。
「陽一と美里だって戸惑ってるぞ。あれから二週間だろ……俺もまだ、そういう体験してないから上手く言えないけど……」
「分かってるよ、龍ちゃん」
「ん……」
 龍ちゃんは深く煙草を吸い込むと、先程出した携帯用灰皿で火を消した。
「大丈夫だ、あれから大分立ち直ってはいるんだ。ただ、生活どうしようかなと思ってね。一応親父の貯金通帳もその判子も見付かって、中身も確認できたけどよ、それも何時までもつか分からないしな」
「ふむ……」
 二週間前の留守番電話に録音されていた内容は、親父が行方不明になったということだった。親父が出張先で泊まっていたホテルが火事になり、その際親父は行方不明になったのだ。ほぼ全焼だったらしく、死亡者も相当多かった。テレビや新聞で報道されている『行方不明者一名』が、親父だ。
 火事で出た行方不明だ、正直なところ、真実は俺の心とは裏腹なのだろう。
「……親戚の人とかは、何も言ってくれないのか?」
「いや、親父の兄貴と弟に、世話を見てやる、とは言われたけど、断った。元々、親父は兄弟付き合いが悪かったから……俺もあんまり身内って気がしないんだよ」
 俺の言葉に龍ちゃんは少しの沈黙を置いてから、
「そうか。まあ、一応俺も教師だ、相談には乗るぞ」
「一応、ねえ」
 俺は立ち上がり、
「もう少し考えるよ。それで本当にどうしょもなくなったら……そン時に相談する」
「おぅ……。もう行くのか?」
 その龍ちゃんの台詞を合図にしたように、
『キーンコーンカーンコーン』
 午後の授業の五分前を告げるチャイムが鳴った。
「もうすぐ授業だしな。ほれ、あんたも授業の準備をしないといけないんじゃないのか、先生」
「ケッ、俺は次の授業はないんだよ。職員室でお仕事だ」
 龍ちゃんは立ち上がると、尻の埃を払って、
「ホラ、行くぞ」
 と俺の背中を押して促した。
「授業か……。惜しいな、折角のいい天気なのに」
 屋上の扉を閉め、龍ちゃんと階段を降りていった。下から賑やかに声が聞こえる。
「いつまでも仏頂面してンなよ、啓祐」
「……イエッサ」

「バイトぉ?」
「おう」
 下校時間。陽一と美里と一緒に帰宅の路にあった。
「バイトって、どこでするの?」
「まだ決定したわけじゃないけど、とりあえず『ウクレレ』で」
 答えてやると、陽一も美里も納得したように頷いた。
「じゃあ啓ちゃん……またバンド始めるんだ」
 微笑んで美里がぼそっと言う。美里の察している通り、あわよくば店を閉めた後にでも、スタジオを使わせてもらおうと考えていた。
「またって、俺はバンドをやめた覚えはないけど」
 美里にそう返すと、今度は陽一が少し困った顔で、
「なーに言ってんだよ。ここンとこ、お前部活の方サボってただろ。ジョニーと早紀ちゃんとタク、心配してたぞ」
 そう言われれば、親父が死んでから、超バンド同好会にはほとんど顔を出していなかった。それどころか、テレビや新聞もほとんど見なくなっていたし、人と接することも少なくなっていた。つまりここ二週間の世間の情報は、ほとんどシャットアウトなのだ。登校時は今のように陽一と美里と一緒だったが、あまり口数は多くなく、むしろただ歩いていた方が多かったように思える。
 でも今は、昼休みに龍ちゃんと少し話をしたせいか、昨日までに較べれば口数も大分多い。それに今日は普通に超バンド同好会へ参加した。それだけ立ち直ったということだろうか。この二週間のサボリにも触れず、何事もなく早紀たちが接してくれたように見えたが、逆に気を遣っていたのかも知れない。
 間もなく家に着いた。玄関に鞄を放り投げ、自転車に跨がると、ウクレレへと走り出した。

「啓祐君……。君のお父さんのこと、聞いたよ……」
 カウンター越しに、マスターの関口さんがコップをキュコキュコと磨きながら言う。そう言えば、親父が行方不明になってから関口さんに会うのは今日が初めてだ。
「うん……まぁ、それでも結構落ち着いたよ」
 俺はコーヒーを啜った。
「……陽一君たちの言った通りだ、いつものパワーがないよぉ」
「ははは……やっぱりそう?」
 それでも昨日までよりはいい、と続けようとしたが、その言葉は飲み込んだ。
「ま、早めに元気出しなよ。周りの、みんなの為にもサ」
「…………」
「僕ももう両親を亡くしてるから、啓祐君の気持ちが分からんでもないよ。……っと、啓祐君のお父さんは死んだと決まったわけじゃないけどね」
「別にいいよ、気ィ使わなくて。俺だって分かってるし、気持ちの整理も多分付いてる」
「……あんまり悪い方ばっかりに考えないでね」
 と、関口さんが、空になった俺のカップにコーヒーを注いでくれた。
「ま、今日のコーヒーは僕の奢りだよ」
 関口さんは俺のコーヒー好きを知っている。きっと俺を元気付けようとしているのだろう、笑顔でそう言ってくれた。
「で、啓祐君、今日はコーヒーを飲みに来ただけじゃないんだろ?」
 俺は関口さんの顔を数秒覗き込み、
「はは、かなわないなー、関口さんには」
 これだけの言葉を口に出来た。
「年の功というヤツかな。で、相談事かい?僕で良ければ力になるよ。少なくとも龍一よりは頼りになるつもりだけど」
 と、軽く身体を乗り出した。龍ちゃんには悪いけど、俺も龍ちゃんよりは関口さんの方が頼りになる。
「……俺の相談事って言うのは、生活のことなんだけど」
「うん」
「一応親父の貯金通帳が見付かってさ、中身も確認出来たし、下ろすことも出来たんだ。何を考えてんのか知らないけど、結構貯めててさ。でも、そこから高校の学費を差っ引いいたら……手元には百万チョイあるんだけど、これだけじゃ、恐らく高校生活を乗り切れないと思って。そこで……ここで、俺をバイトで雇ってくれないかなーと思って。せめて、高校は出ておきたいから、バイトは夕方からになると思うけど……駄目かな?」
 関口さんは腕組をした格好で、俺の目を覗き込んでいるように俺の話を聞いている。そして数秒後、
「いいよ、即採用だ。履歴書はいらないよ」
 少し微笑みがちに、関口さんがこぼした。
「ただし。君の高校は確かバイト禁止だろう?学校に許可が貰えたら、だ」
「うん、明日にでも許可を貰ってくるよ」
 関口さんがニッコリ微笑んだ。しかし、関口さんは急に何か思い出したようで、少し何かを考え込み、
「啓祐君、済まないけど、店番頼めるかな?」
「は?でもさっき、学校の許可を取ってからって……」
 そう返すと、関口さんは罰が悪いような表情で、
「んー、これはいつも通りの頼みだよ。ちゃんと礼はするから」
 その言い方で納得した。俺はたまに、ここの店番を頼まれることがある。大抵、関口さんが店の物の買い物に行くときだ。頼りになる人ではあるが、こんな風に買い忘れだとか、どこか抜けているところがある。
「砂糖が切れそうなんでね。今日一日くらいはもつと思うけど、折角だから今買ってくるよ。ま、心配ないと思うけど、研修と思ってやっててね」
「うぃー」
 ここで手伝いを始めたきっかけは、小学生の頃に、親父に飯を作ってあげたいと思ったことだ。一応このウクレレでは、軽食くらいはメニューにある。当時、サンドウィッチやおむすびなどは、かなり上手く作れるようになった。ちなみに、カレーライスとハンバーグは、ここではインスタントを使っているのだが、ちゃんと手作りでも出来る。あの家庭では、当然と言えば当然だ。
 関口さんはエプロンを外して、勝手口から出ていった。
 とりあえず今は誰もお客さんがいないので、カウンターから拭き掃除を始めた。
 だがすぐに入り口に付けてあるカウベルが響いた。
「いらっしゃいませ」
 振り向くと、
「よっ」
 陽一と美里だった。
「何だ、どうした?」
「うん、啓ちゃんはどうしたかなって思って。関口さん、OKしてくれたんだ」
 二人はカウンターの席に腰掛けた。
「いや、まだ正式には……学校の許可取ってこいってよ。今は、今まで通りのお手伝いだ」
「ま、いいや。フランクフルトとコーヒー頂戴」
「あ、美里はクレープのイチゴとアイスミルクティーね」
 一応、陽一と美里は客らしい。
 俺はコーヒーとアイスミルクティーを先に出すと、フランクフルトを温め、クレープ作りにかかった。
「ま、何にしてもお前らしくなってきたな。安心したよ」
 陽一が安堵の溜め息を交えて口にした。
「ああ……何か心配かけちまったな。もう大丈夫だ」

 ウクレレから誰もいない家に戻った俺は、とりあえずこの二週間の事を考えようと思っていた。だが、郵便受けに届いていた俺宛の手紙が、俺の予定を急変させた。
「何で今頃……舞から手紙が届くんだよ!?」
 興奮して、一人だが声を荒げてしまった。差出人のところには住所は書いてなく、一文字、『舞』と書いてあった。俺の知り合いで舞と言えば、余りイメージではないがランだ。しかし、ランから手紙が届くというのもおかしな話だ。
 良く見ると、切手の判子は東京だった。つまり、東京から送られた手紙ということだ。
 そう思い、とりあえず封を開けて手紙を読み始めたのだが、
『こんにちは、双子の妹の舞です』
 これが出だしだった。
 何故今頃になって、約十六年も音沙汰不信になっていた双子の妹・舞から手紙が届くのだろう。いや、何故舞は今まで何も連絡をしなかったのだろうか。
 とりあえず手紙を読むことにした。
『先日、父が行方不明になったと聞きました。実はこちらは、ずいぶん昔に母を亡くしています。
 本題を単刀直入に言います。私も兄さんの家に住んでもよろしいでしょうか?私たち双子の兄妹が別々に暮らさなければならなくなったのは、両親の都合で私たちの意思ではありません。私は常々兄とは一緒に生活をしたいと思っていました。しかし貴方と父の生活空間に、私の入り込める余地があるのか、父が私をどう思っているのか、などと考えると、なかなか心中を伝えられませんでした。
 兄妹としていつか伝えなければいけない心中と思っていましたが、その前に父が火事で行方不明になってしまったのです。現在、お互いに親がいない状態です。こんな形でこのようなことを言うのは不本意ではありますが、今は兄妹が力を合わせる時期と思い、執筆しました。
 勝手ではありますが、海の日・7月20日に、南家へ赴きます。
 では、失礼します』
 衝撃的な内容だった。母親が死んでいることもそうだが、それよりも舞がこの家に来る、この家で暮らすということの方が大きい。俺の方はすっかり妹のことを忘れていたと言っても過言ではない。会うことはないと思っていた。
 だが妹が実際に来るとなれば話は別だ。勿論、会えるなら会いたい。一緒に暮らすことだって、考えてみればそれで自然な形だ。むしろ今までの状態の方が不自然だった。
 確かに舞の手紙にあるように、不本意な形ではあるが、親父が行方不明になったことで、離れ離れになっていたはずの俺たち双子が出会える。
 今まで気遣ってくれたみんなの為にも、このビッグニュースを、今は活力にしようと思う。親父が行方不明になったことを、いつまでも引きずるわけにはいかない。
 ただ一つだけ引っ掛かる。妹の舞は、一体誰から親父のことを聞いたのだろう?テレビや新聞で知ったからだろうか?同姓同名だとは考えずに?
 とりあえず、妹がくれば分かることだ。


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